日記・コラム・つぶやき

AmazonのKindle

こんにちは。

東京にいても日食には暗くなるものとばかり思い込んでいた里見です。

さて。

活字を読むメディアとして紙で作られた本の優位がなくなることはない、と、愛着8、諦観2の割合でずっと考えていた。愛着というのはもちろん慣れ親しんできた書籍というものへのフェティッシュな執着が大半で、あとは閲覧のしやすさとか、書き込みができるといった機能性への支持も含まれる。諦観というのは、デジタルデータとちがって宿命的に保存場所をとることと、かさも重さもあって持ち運ぶのが大変、検索がしにくいという不便さに由来している。これは愛着のほうに属するのかもしれないが、モニタで大量の文字を読むのは疲れるし。 

でも、Amazon.comでKindle2を紹介する動画を見ていたら、この考えが揺らいできた。 

太陽光の下でも反射しないように工夫されたディスプレイとか、携帯電話会社との契約なしに、つまり月々の通信料を払わずにKindleのサイトに接続してどこにいても1冊1分以内に(PCを介さずに)ダウンロードできるとか、Wikipediaも見られちゃうとか、新聞や雑誌やブログなども定期購読できるとか、僕には非常にツボな機能ばかりだ。重さも300グラム弱と軽いし、これで他のインターネットサイトも閲覧できれば(Wikipediaを読むとできちゃうみたいだが)、僕のようにネットブックでも重いと感じる人間には外出時に欠かせないアイテムになりそうな気がする。 

さらにここに、スタイラスなどを使ってページに「書き込む」ことのできる機能があれば、仕事に使う資料については紙の書籍よりもKindleのほうが完全に便利になってしまいそうだ。資料を読み込んでノートを作るとき、喫茶店など外で作業をすることが多いのだが、何冊も持ち歩くのは重いし、かさばる。コンパクトにまとまってしかも検索機能がついているとなれば、作業効率がずっと上がるのではないかと思うのだ(電子辞書のことを考えるとそうとしか思えない)。資料に関しては、絶版になって入手不可能なもの、マーケットプレイスなどでプレミアムがついているものなどもデジタルデータ化されていればよりアクセスしやすくなるのではないかという期待もある。 

もちろんKindleにもいろいろ改良の余地はあって、Wikipediaの記事を読むかぎり、どうやら商品としてあまり成功しているとは言えないらしい。 

それに、まがりなりにも著作権収入を得ている身としては、書籍がどんどんデジタル化されてゆくのはそういう観点から自分にとって「得」なことなのかどうかは不明、であるがゆえに不安も感じるし、やはり紙の書籍というメディアはずっとなくならずに存在してほしいという気持ちもある。が、iPhoneにはさほど食指が動かない僕も(たんにニーズのちがいだが)、Kindleについては、考えるほどに使ってみたくなってきた。日本語版が出る予定はないのだろうか。

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僕の初仕事

 更新が遅いのでもうひと月以上前の話になってしまうのだが、先月のはじめ、東京會舘で行われた徳間文芸賞授賞式に顔を出した。僕は飲み会は好きだが大きなパーティはそれほど得意じゃない。人がたくさんいる場所がじつは苦手だ。

 でも今回は、現在日本SF作家クラブの事務局長である久美沙織さんが日本SF大賞の授賞式の司会をされるというので、足を運んだ(片づけなければならない仕事があったので、かなり遅れての参加となり、結局久美さんの司会ぶりを拝見することはできなかったのだが)。 

 久美さんと知り合ったのは僕がまだ学生の頃だ。高校の頃からの友人が久美さんのファンで、そのご縁だった。友人も僕も小説家志望で、当時久美さんが池袋のコミュニティカレッジというカルチャースクールで担当されていた講座に生徒として参加した。作文術と銘打たれたその講座は、小説の書き方をレクチャーするものだった。 

 ここでの講義の内容は、そののち徳間書店から書籍化される。『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』という本がそれだ。講座を本にまとめるにあたり、友人と僕はそのお手伝いをした。テープ起こしした文章の編集や、欄外に注釈をつけるといった作業だ。 

 それは、僕のこの「業界」での初仕事となった。お金の話をすると、ギャラは印税という形で支払われた。友人と僕の仕事はライターとしてのそれであり、作業に対していくらいくら支払われて終わりでも当然だったのだが、久美さんがご自身の印税から一定のパーセンテージを僕らに割いてくださったのだ。 

 「夢の印税生活」などという言葉がある。久美さんは、小説家志望の僕らに、ある種のイメージトレーニングとして、その夢の一端を垣間見させてくれるためにお手伝いをさせてくれたのではないかと思う。 

 僕がお手伝いしたのはこの1冊きりだが、その後、久美さんは、『もう一度だけ新人賞の獲り方おしえます』『これがトドメの新人賞の獲り方おしえます』と計3冊、“新人賞の獲り方おしえます”シリーズを書かれている。3作目は、『小説あすか』という雑誌上で読者のなかから小説家志望者を募り、彼らの成長をリアルタイムにRPG形式で描いてゆくという、こう書いただけではちょっと想像できないユニークな方式を採用している(この3作目に登場する小説家志望者の一人は、のちに第2回日本SF新人賞を獲ってデビューする、吉川良太郎さんである!)。 

 『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』には、もしこの本を読んで本当にデビューできたら、ビールの一杯でもおごってね、という内容の、久美さんらしい洒落の利いた一文がある。ところがこれが洒落に終わらず、なんと、『パラサイト・イヴ』で華々しいデビューを飾った瀬名秀明氏からビールが1ケース久美さんのもとへと贈られてきたのだ。 

 それが前例となってか、その後も久美さんには、この本を読んでデビューされた方たちから、ビールやビール券などが届くようになった。本が出てから16年後、ようやく僕も彼女にビールを謹呈することができた(日本ファンタジーノベル大賞は「新人賞」ではないけれど)。聞けば、これまでに何十人という人からこの本のからみでビールまたはそれに類するものが贈られてきたという。本のインサイダーだったにもかかわらず、僕はずいぶんたくさんの人に遅れをとってしまったわけだ。 

 授賞式の会場には中村弦さんもお見えになっており、久美さんをご紹介したところ、なんと弦さんも『新人賞の獲り方おしえます』を読まれていたことが明らかになった。弦さんと僕はいろいろな点で対照的だと思うのだが、同じ回に日本ファンタジーノベル大賞を受賞したという他にもある共通点というか近似項があることがわかり、勝手に親近感を感じている。またひとつご縁があったような気がしてうれしかった。 

 ビールのくだりは失念していたという弦さんは、後日さっそく久美さんにビール券を贈られたそうである。律儀な人なのだ。 

 そういえば、今年の日本ファンタジーノベル大賞の締め切りまであと2日。応募される方はきっと最後の追い込みにかかっているにちがいない(小説の公募で締め切りに余裕を持って提出する人は、圧倒的に少ないと思う。僕は去年、締め切りである4月30日に原稿を発送した(当日消印有効))。 

 去年の今頃のことを思い出したら、どきどきしてきた。今年はどんな方が受賞されるのだろう。今から楽しみだ。

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アドレナリンか、日々の満足か

 昨日、最寄りの税務署に確定申告書を提出。とりあえず一件落着した。

 疲れた。この時期、領収書の整理に始まり、記帳から何からまとめてやるという方法だから、短期間にこなす「量」がまず多いということもある。が、こういう作業をほぼ1年ぶりにやるので、去年どうしたかを忘れてしまい、何というか「経験値」がゼロに戻ったところから改めて一つ一つ手順を確認しながら積み上げていかなくてはいけない非効率さによって生じるストレスが非常に大きかった。

 まあそういう「物忘れのよさ」は今に始まったことではないので、それだけたくさん新しいことを覚えたのだと無理にでも前向きに考えることは不可能ではない。が、なんでこまめにやらずに、まとめて一気にやろうなんて思ったんだよ! と、この1年の自分を責めたいような気持ちになったのも正直一度や二度ではなかった。そこから得た教訓を来年の今頃の自分に生かしてやるために、一連の作業のフローチャートを作成。俺って賢いじゃん、と人知れず鼻の穴をふくらませたのであった。

 でも、考えてみれば、確立されたやり方を忘れないうちに、もうすでに2ヵ月以上経っている今年の分の領収書の整理と記帳を始めて、さらにその後は1週間ごととか、せめてひと月ごとにそうした作業をすればいいだけのことなんだよなあ。

 ……去年の今頃も、きっと同じことを考えていた気がする。うーむ、デジャビュではないなこれは。

 ただ、締め切りの間際まで溜めに溜めたものを、まとめてガーッとやっつけるという行為には、ストレスに比例した快楽――祝祭感というか、してやった感というか――乗り切ったあとには両拳を挙げて、腹の奥底から「エイドリア――――ン!」とでも叫び出したいような巨大な満足感がある。よくわからないけど、アドレナリンか何か脳内物質が出ているんだと思う。

 小説家や漫画家には、たとえ日数に余裕があっても、締め切りぎりぎりになるまで仕事にとりかからない(とりかかれない)という人がけっこう多い。その事実が、こうしたアッパー系の脳内快楽物質への依存度の高さを物語っているのは間違いなかろう。

 しかしそれも、溜まりに溜まったストレスの裏返しと考えると、さほどありがたみも感じられなくなってくる。いつかやらなくてはいけないが、放置しているタスクへのストレスというのは、顕在意識では抑圧されていたとしても、潜在意識下には蓄積され、僕らの心を日々着実にむしばんでいる――と書くと大げさだが、他のもっと建設的なことに向けるべき意識のリソースを奪っているのは確かだと思うのだ。

 今年はひとつ、こまめに記帳することによって得られる快楽――限られた脳資源を有効に活用していることに基づく自己信頼感を積み上げてゆく気分のよさ――を味わってみたいものだ。

 ……えーと、これはデジャビュだよね。たぶん…………。

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確定申告

 確定申告の季節だ。僕は、市販のソフトを使って青色申告をしている。領収書を整理し、業務日誌とつき合わせて経費を入力するという作業が中心になる。ソフトのおかげで帳簿づけはさほど難しくは思えないのだが、例年まとめてやるのでなかなか大変だ。

 領収書などの証憑(しょうひょう)類は、税務署に求められた際に提出できるよう、7年間は保存しておかなくてはいけない。封筒にざっくり入れておいても保存には違いない。が、僕はスクラップブックに貼りつけている。取引の入力をするのもあとで調べるのもこのほうが楽だし、散逸の不安も少ない。

(これが、たとえばAmazonの領収書のように、すべてがA4判で統一されていたとしたら、月別にフォルダに入れておくほうが手間がないだろうと思う)

 こういう作業は早め早めにすませておきたい性分なのだが、今年はまだ領収書の整理までしか終わっていない。他にやることがいろいろあって――といえば、だいたい毎年そうなのだから、頭の切り替えがうまくいっていないのだろう。

 物語作りに集中して創作の過程に深く沈潜してゆくと、確定申告のような作業が、その集中をさまたげる「雑事」のように感じられることがある。

 ヴィリエ・ド・リラダンに『アクセル』という小説があり、同名の主人公のセリフに「生活? そんなものは召使いにまかせておけ」というものがあるらしい。僕はそれを学生時代にコリン・ウィルソンの『夢見る力』で知っただけで原典には当たっていないのだが、非常に印象に残っているのは、当時の僕の気分にぴったりの言葉だったからだ。

 その頃僕は自分のことを天才で、いつか凄い小説を書くことこそ使命なのだと信じていた。思い込みのなかには致命的なほどに人生を危うくするものがあるが、僕にとってはまさしくこれがそうだった。そんなふうに思っていたために、その後どれほど苦労したことか。

 僕が今、まがりなりにもこの仕事を続けられているのは、そういう思い込みがこっぱみじんに打ち砕かれ、「天才でない自分」と向き合うところからあらためて一歩を踏み出したからだ。それは、自分のなかにある、アクセルのセリフに象徴されるような“ロマン派のアウトサイダー”的傾向を克服してゆこうとする、長い長い苦闘のプロセス――おそらくまだすっかり終わったわけではない――なのだとも言い換えられる。

 かつて僕は、自分は生得的に作家なのだと信じていた。今は、たぶんそれは後天的に獲得されたものであり、その状態を維持するためには相応の努力を払わなくてはいけないと思っている(世の中には、こういう当たり前の結論にたどり着くまでに、えらく時間がかかる不器用な人間がいるのですよ。また、世の中には生得的に作家であるとしか思えない人もいっぱいいて、作家という職業がそもそも生得的なものに思われがちなので、現実を直視するのはそれなりに勇気がいるのです)。

 今では僕は、物語を作るといういわゆるクリエイティブな側面ばかりでなく、作家というスモールビジネスのマネジメント的な側面にも同じように愛情を感じている。

 確定申告は雑事ではない。好きな仕事を続けてゆくための大切な作業なのだ――そう頭を切り替えるためにこの記事を書いた。よし、記帳するぞ。

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書き込みできない本

 都筑道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』という本を久しぶりに読んだ。前に読んだのはたぶん15年以上昔のことだ。晶文社の本で、新装版が1998年に刊行されたらしいが、もちろんそちらではなく、1975年の初版本だ。カバーにはハトロン紙がかかっている。学生時代に古本屋で買ったものに違いないが、ハトロン紙から値札がはがされた痕があって、いくらで買ったのかは定かではない。

 僕は普通、読書をするときには4色ボールペンを傍らに置いている。気になるところや重要だと思えるところには、どんどん線を引いたり、感想や思いついたことを書き込んだりする。人生のある時期には読み終えた本を引越しの際にまとめて古本屋に売るなどしていたこともあり、その頃は少しでもいい値で売れるようなるべく「きれいに」読むのを心がけていたものだが、今はもう、自分が一度読んだ本をふたたび世の中に流通させようという考えはなくなってしまった。

 だから、乏しい記憶力を補うために、読んだ本の内容を少しでも頭に刻み込もうとがんがん書き込みをする。基本的に、絶版になって手に入らない本の他はAmazonのマーケットプレイスなども利用せず新刊で購入しているから、新しい本に書き込むことになる。書き込まないと読んだ気がしないようにさえなった。高価な本とて例外ではない。赤青緑黒。自分なりの基準にしたがって書き込み、さらにページの隅を目印としてドッグイヤーにぐいぐい折り返す。遠慮はしないのだ。

 ところが、この本には書き込みができなかった。

 書き込むことがないというわけではない。『黄色い部屋はいかに改装されたか?』には、都筑道夫の「本格推理小説」に対する考えが実作面からも書いてあり、今読んでもためになる部分が多い。読みながら何度もボールペンに手が伸びそうになった。頭のなかでは自分ルールで線を引いている。でも実際には、その箇所のあるページに付箋をつけただけで、最後までボールペンで書き込むことはなかった。

 書けなかったのだ。

 いや、この本が、どうやら新装版のほうも絶版になっているようだし、ましてそれ以前の初版本だから、書き込まなければいつかプレミアムがついて高く売れるのではないか、とか、そういうことを考えて書かなかったわけではない。本を書いて報酬を得たいとは思うが、人の本を売買することで利益を得ようという考えはとりあえず今現在はない。

 経年なりに黄ばんでいるけれど紙には虫食いも破れもなく、なかには刊行当時のものとおぼしき晶文社の書籍案内が挟まれていて、そして誰かの手――古本屋さんだと思うが――によって丁寧にハトロン紙がかけられている。幾度もの引越しや有為転変を経た後も、この本がまだ自分の手元に残っていてくれて、たいして大切に扱ってもいないはずなのに、古いながらもたぶんその最上の状態を保っていてくれたのだと思うと、書けなくなってしまったのだ。

 ずっと昔から持っていて、まだ本棚に残っている本と、同じくらい愛着があったのに、さまざまな理由で手元に残せなかった本たちのことを考えたら、なんだか酒が飲みたくなってきた。

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昨日は

 学生時代の友人の結婚披露宴だった。

 大変に華やかな宴だったのだが、新郎新婦の人柄が感じられる、あったかいパーティでもあった。

 結婚というのは、そもそも恋や愛の延長線上にあるとはかぎらない制度のはずだ。愛し合っている二人が結婚するのを見るのは、だからいいものである。それが古い友人なら、素直にうれしい。幸せのおすそ分けをしてもらったような気持ちになった。

 うれしくて昨夜はしこたま飲んで、今日は二日酔い。思いっきりお約束どおりですね。

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新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 というご挨拶を年明けそうそうに書こうと思っていたら、気がつくと鏡開き。まあ、風邪をひいたりしていたのでやむを得ない部分もあるが、つくづく自分はブロガーじゃないなあと思う瞬間だ。

 ん?

 これまでずっと「です・ます」調で書いてきたのだけれど、ふと「である」調で書いてみたら、これも悪くないな。

 今年からはこれでいくかもしれません。

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プレミアム?

 Amazonで自分の著作を見たら、品切れになっている作品に、マーケットプレイスでものすごい値段がついていてびっくりした、という話です。

 漫画『ドラゴン桜』のノベライズは、全五巻が講談社文庫から出ています。その四巻と五巻に当たる『小説ドラゴン桜 メンタル超革命篇』と『小説ドラゴン桜 魂のエンジン篇』が、現在、どうやら新品は品切れ状態らしく、中古商品を扱うマーケットプレイスにおいてのみ、入手できるという状況。

 定価はそれぞれ552円プラス税、であるにもかかわらず、後者は中古商品が1,340円から、前者は1,968円から並んでいます。版元でも完全に品切れ状態の後者については、最高値がなんと5,980円!

 はるか昔に絶版になった本ならともかく、去年出たばかりでまだ絶版にもなっていない文庫本につけられた値段だから驚きです。うーん、俺も、これだけプレミアムのつく作家になったか……っていう話ではまあ100パーセントなくて、たまたまイケイケのギャンブラーな出品者の方々が集まったというだけのことだと思うんですが(あ、僕は出品してません)。

PICT0046  

 写真は、本棚にあった、アルフレッド・ベスターの『コンピュータ・コネクション』。廃刊になってプレミアムがついたサンリオSF文庫の一冊です。その昔古本屋で買ったもので、定価460円に対し、奥付にエンピツ書きされた値段は1,500円。

 僕はマニアでもコレクターではないので、たんに読みたくて買ったのでした。それでも不思議なもので、持っているとちょっぴり誇らしいような気がしたりもして、写真を載せたくなっちゃったりもする。おお、これが、稀少という言葉の持つ魔力なのか。

 

 しかし、著者の立場としては、プレミアムがつくよりは重版がかかってくれるほうがうれしいなあ……。

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厚く御礼申し上げます

 日本ファンタジーノベル大賞を受賞してから、てんてこ舞いの状態が続いております。気がつくと、この前ブログの記事を書いてから、ひと月近く経っていたわけで。その間、仕事でもプライベートでも、数多くの方々から、祝福の言葉や品々を頂戴し、また、お祝いの席まで設けていただいております。正直、これほど多くの方に祝福してもらえるとは、思ってもみませんでした。頑張ってよかったなあ。皆様、本当にありがとうございます。

 ネット上でも、漫画家・イラストレーターの高嶋上総さんが、祝福のコメントを寄せてくださいました。感激です。あらためて、高嶋さんのサイトを紹介させていただきます。

 →maxmaximum(高嶋上総さんの公式ブログ)

 サイトの左サイドバーから、高嶋さんの素敵なイラストを見ることができます。仕事に疲れたときに拝見すると、ほっとしますね。

 高嶋さんは、僕以上にのんびりしたペースでブログを更新されています。とても真面目な方なので、仕事の区切りがつかないうちは、なかなか更新しようという気にならないのではないかと。

 高嶋さんと比べたら、自分はもっといい加減だと思っていましたが、だんだん、手がけている仕事が気になって、ブログを書く余裕がなくなってきてしまいました。……なんて言いながら、今も熱々のゲラを抱えつつ、こうして記事を書いていたりするのですが。

 日本ファンタジーノベル大賞の受賞作の刊行に先立って、10月に2冊本が出る予定です。並行してそれらの準備作業なども進めているので、作業的には手一杯という感じです。どれも楽しい仕事ですし、忙しさそのものはあまり苦にならないのですが、お目にかかってあらためて御礼と御報告を申し上げたいのにまだできていない方もいて、それが心苦しい。

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今週の『モーニング』へのひとりごと

 おお、『エンゼルバンク』に水野が登場! 心なしか、というかあきらかに少し大人っぽくなってて、学生生活エンジョイしてそうでいいなあ。なるほど、転職すなわちキャリアアップになるとはかぎらないんだ。ためになるし、相変わらず、次が気になる……!

 『僕の小規模な生活』ないと寂しいなあ。ああいう作風って、担当の編集者的にはイヤなもので、それが理由で打ち切り? なんて心配になったけど、前号で来年復活するって書いてあったから、大丈夫か。いやひとごとなんですけどね。

 『きのう何食べた?』そうかゲイにも「愛されファッション」があるのか。勉強になります。

 『へうげもの』山田芳裕の絵を見てると「異化」という言葉が浮かんでくる。この人の使うスクリーントーンは他の漫画家さんと全然違って、なんか「屹立してる」って感じ。ヴィトンの漆器のニュース見て、これって、古田織部の“大金時殿”的にはどうなんだろ? なんて思ってしまった。

 『もう俺ハエでいいや』このゆるい漫画で「○○シリーズ」がその場かぎりでなくちゃんとシリーズ化されているのを見たとき、なんかちょっと感動する。「新・地獄のせっかんシリーズ」とかね。

 『モダンタイムス』連載小説って読まないことにしてるんだけど、これだけは読んでます。初回を読んでしまったら、あとはもう、ずるずると。しかしなんで『駅馬車』? なんで『クロウ』? 作者のたくらみが全然わからず悔しい。いや、単行本で落ち着いて読んでればここまで鼻面引きずりまわされ感もなく、それなり見抜けてるはずなんですって。

 『悶々ホルモン』じつは初回から欠かさずスクラップ。この時期にはおいしいモツ鍋ネタどーんと欲しいなあ。でもそういえばこの人(佐藤和歌子)鍋はあんまり好きじゃないってどこかに書いてたっけか。

 『ヨロズ屋がゆく!』がんばれ!

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