「BDとは何か」とは何だったか
遅ればせだが、6月30日に早稲田で行われたシンポジウム「BDとは何か」に足を運んだのでその報告を。結論から先に言うと、会は盛況であり、僕は少なからず啓蒙された。
始まった時点で参加者は100人を超えており、こうしたシンポジウムでは異例だったらしい。会場の入り口で『ユーロマンガ』のvol.1を参加者に無料で配布しており、いずれ買うつもりだったので喜んで頂戴した。100冊が用意されすべてなくなったというのだが、大盤振る舞いである。
3人のコメンテーターのうち、中島万紀子氏と古永真一は早稲田に籍を置くフランス文学の研究者で、原正人氏は『ユリイカ』の「特集 メビウスと日本マンガ」(これはとても面白かった)にも寄稿している在野のBD研究者である。
以下、簡単に内容を。
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・中島万紀子「フランス人にとっての「ドラえもん」?――愛され続けるキャラクターたち――」
『タンタン』をはじめとする、フランスの国民的なBD作品およびキャラクターの紹介。僕が学生の頃、『タンタン』はオシャレなものとして女の子たちのあいだでちょっとしたブームになっていた。それで敬遠していたのだが、日本語版のフキダシの文字も原典と同じように手書き文字であるという話や、スピルバーグが今度映画化するという話も聞いて、読みたくなってきた。
その他に『スピルーとファンタジオ』『ガストン』『シュトゥルーフ』(日本では英訳された“スマーフ”として知られている)『アステリックス』『ラピノ』などが紹介された。人気のあるキャラクターはアメコミのように何人もの作家によって描き継がれる。個人的にはトロンダイムの『ラピノ』が読んでみたいと思った。
興味深かったのは、『タンタン』をはじめ、フランスで人気のある多くの作品がベルギーの作家によって描かれていたということだ。ベルギー人はマンガ好きなのだろうか。
・古永真一「文学/BD/美術」
タイトルのとおり、BDと文学、BDと美術の関係について。
1ページで完結してときには笑えるという、きわめてキャッチーなマット・マドンの『コミック 文体練習』などを素材に使って、実験的な漫画を実践するウバポ(Oubapo)という集団、およびウバポ的な実践を行う作家を紹介する。ここまでが文学とBDとの関係。
登場人物はなく、ゆるやかなシークエンスを形成する抽象画がコマとして並んでゆくという、日本ではまず漫画として認識されないであろうヨッヘン・ゲルナーの作品や、BDのフォーマットで詩人による詩を展開する作品や、コレオグラフィにBDを組み合わせたものなど、美術と親和するBDについて語られる。メモにはヴァンサン・フォルタン、ティエリ・ファン・ハッセリト、オスカー・バイイフなどの名前が記されているのだが、初めて聞いた名前ばかりで、誰がどんなことをしているのかよくわからなくなってしまった。名前も間違っているかもしれない。
さらに、文学とも美術とも親和性の高いBDとして、パスカル・ラバテの『イビキュス』(アレクセイ・トルストイ原作)やトッピの『シェラザード』、バッタリアの『ポー作品集』などが挙げられる。メモには書いていなかったが、会場で配られていた「早稲田フランス語フランス文学論集」に掲載されていた古永の論文に、BDのアヴァンギャルドを代表する作品として、マルタン・ヴォーン=ジェイムズの『檻』という作品がとりあげられていて、そういえばこれも語られていたように思う。
何となく、日本の漫画は世界的に見て作品数も膨大でバラエティに富んでいる、という先入観を持っていたが、話を聞くうち、たんに自分が海外の作品を知らなかっただけだという気がしてきた。たぶんそうなんだろう。もしあの場にとんがったことが好きでそういう作品を発表する場所を提供できる漫画編集者がいたらたちまち刺激的な企画をいくつも思いついていたのではないか、と妄想する。僕がそういう作品を知らないだけという可能性もあるけれど、日本の漫画もまだまだやってないことがいろいろあるのではないかというのが一読者としての最大の感想だ。まあ現実問題として、そういう作品が商品として成立するマーケットはたぶんないような気もするが。なんて書くと話がそこで終わっちゃうな。
『ユリイカ』の「特集 メビウスと日本マンガ」が面白かったのは、メビウスの翻訳などまだ日本で出ていないときに、谷口ジローや大友克洋や浦沢直樹や藤原カムイやバロン吉元や寺田克也といった作家たちが、彼の作品をそれぞれで入手してそこから非常に大きな影響を受けていた、というアーティストの情熱を物語るエピソードが前面に押し出されているからだ。突出した作り手というのは、そもそも貪欲でアンテナが立っている人たちなのだろう。メビウスが大友克洋や宮崎駿と相互に影響を与え合ったように、僕が知らないところでこういうマージナルなBDから影響を受けている日本の作家さんもたくさんいるのかもしれない。
・原正人「1990年以降のフランスのマンガ―フランスにおける発展と日本での受容」
原正人氏がBDに関心を持ったのは2005年と比較的最近のことだという。そのきっかけとなった『ペルセポリス』や『ブラックサッド』という作品から、タイトルにあるように90年以降の比較的新しい作品群が日本でどのように紹介されているかが語られる。
90年代、BDを日本に紹介するにあたって大きな役割を果たしたのは雑誌『モーニング』である。会場のスクリーンに映し出された作品を見ていると、僕も読んだ覚えがあるものがいくつかあった。非常に作家性の濃い作品ばかりで、日本の漫画を読み慣れた目にはとっつきにくい作品も多かったように記憶している。モーニングKCで単行本になっているものがあったなんて知らなかった。『モーニング』は今でもアジアの作家の作品なども紹介しているから、海外の漫画を意識的に紹介し続けているのだ。
『モーニング』が紹介したBDの作家たちはじつはそうそうたる顔ぶれだった、と原氏は教えてくれる。ラソシアシオンという、作家同士で作った出版社からも多く作品を出しているという。この出版社の作品の特徴は、まず作家主導であること、日本とは逆にそれまでカラーが主体だったBDに白黒の作品を持ち込み、ヒーローものばかりでなく日常を舞台にした作品などへとモチーフも広げた。アメリカのロバート・クラムの影響も受け、自伝的な作品も数多く描かれるようになった。ラソシアシオンが起こしたムーブメントは浸透していき、大きな出版社からも作家性の強いBDが出版されるようになり、自覚的な自伝的マンガは今や一ジャンルを形成するほど隆盛のようだ。
『青い錠剤』『なぜ僕はピエールを殺したか』『脂肪と私』などの作品やニコラ・ド・クレシーの『小さなクリスチャン』やメビウスの『インサイド・メビウス』などのタイトルが紹介される。メビウスに関してはいえば、すでに73年に『回り道』という自己言及的な作品を出していた。
以上のような作品のなかには、原氏いわく、日本で翻訳しても人気が出そうなものもいくつかあるという。
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といったところだ。
固有名詞をはじめ、素人ゆえのまちがいがたくさんあるかもしれないがご容赦を。
シンポジウムの後には懇親会があり(あまり広くない研究室は人でいっぱいになった)、そこにも顔を出し、思いがけぬ方に紹介してもらい、いろいろ刺激的な話を聞いて目が覚めるような思いを味わったりもした。たまには外に出てみるのもいいものだと思った。
古永真一に関していえば、BD関連でまだ準備している仕事がいくつかあるという。聞いているとなかなか大変そうだが、おそらく彼はあの調子で淡々とこなしていくのだろう。久しぶりに足を運んだ大学の構内には、僕がいた頃にはなかったスタンド式のカフェがあったり、柵で囲った大きな駐輪場ができたりという変化はあったが、基本的な「匂い」みたいなものは全然変わってないような気がした。学校というのは不思議な空間だ。
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