角田光代さんが24年間も観続けている劇団の新作

弘中麻紀ちゃんから届いたクリスマスカードに、彼女が所属する劇団ラッパ屋のチラシが入っていた。

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『世界の秘密と田中』。おお、新作だ。前回の『ブラジル』からもう1年経つわけか。あれも面白かったなあ(→過去の記事)。

 

ラッパ屋の舞台は、可能なかぎり観るようにしている。人にもお勧めしたい。とくに、ふだんは仕事に追われて劇場へ足を運ぶ余裕などないよ、というような大人にこそ。

 

主宰の鈴木聡氏へのインタビュー(→YOMIURI ONLINE)によれば、最近、1人で劇場へ行く中高年男性が増えているそうだ。逆に言えば、演劇鑑賞って、圧倒的に女性の割合が高い世界なのですよね。そういう習慣のない男性にとって、1人で観劇することのハードルはカラオケや焼き肉並みに高いのかもしれない。でも大丈夫。ラッパ屋の舞台はみんなで観ても楽しいが、男が1人で行っても寂しい気持ちになったりする心配はない。基本は笑えてちょっぴり身につまされ、たぶん最後は元気をもらえるエンタテインメントだ。

 

チラシのコメントを見て、角田光代氏がラッパ屋のファンであることを初めて知り、驚いた(タイトルには「さん」と書いたが、面識はありません)。

 

「18歳からずっと、つまり24年間も観続けているのは、ラッパ屋の芝居だけです」(チラシ(pdf)より抜粋)

 

観客としての年季でいえば、彼女と比べたら僕なんかお尻に殻をくっつけたひよっこもいいところで、えらそうなことを書いているのが少々恥ずかしいのだが、まあいいことにしよう。

 

あの大泉洋氏も、春風亭昇太氏もファンであることをカミングアウトしたラッパ屋の東京公演は、1月9日(土)から17日(日)まで、紀伊国屋ホールで行われるそうです。

 

詳細はラッパ屋公式サイトへ。

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<ル・ファーレ白浜>でバーベキュー

皆様、お久しぶりです。

 

どんどん更新ペースが落ちており、気がつけば季刊を下回っております。前回のエントリから、4ヵ月ちょい。今どき、気の早い映画ならDVDになっていてもおかしくなさそうだ。ブログという看板に偽りがあるかもしれないと感じる今日この頃。

 

更新が遅れた理由は、あるといえばあり、ないといえばない。書けそうなネタはいっぱいあったのだが、記事にはならなかった。でもまあ、仕事のほうはちゃんとやってるし、べつにいいか、と安心していたら、このようなことに。

 

会った人、読んだ本、飲んだ酒、経験したイベントのすべてを記録する趣旨のブログではないので、さまざまな出来事のなかでもとくに峻別されたものだけが記事となることを許されているのだ、と考えてみることも理論的には可能である。

 

すみません。いいわけです(いや、プライバシーとか肖像権とかいろいろ考えて結局記事にしない、ということはあるのだけれど)。

 

というわけで、もう2ヵ月半近く前の話になってしまうのだが(笑)、9月の終わりに、<ル・ファーレ白浜>で、大学時代の同級生たちやその家族と、半年くらい前から企画していたバーベキューを実現することができた。

 

日曜に行うバーベキューのために、日帰り参加の連中を迎えるべく前乗りするという気合の入れよう。今回は夏に完成したばかりのサウスコテージに宿泊。メインコテージより広く、オーナーである山口恵子ちゃんのお父さん手作りのウッドデッキにもバスタブが備えつけてあったりして、全体的にかなり開放感のある造りだ。

 

今回は天気に恵まれて、リビングダイニングにつながるサンデッキでは日焼けもできた。大喜びである。炎天下のバーベキュー。僕は大好物だが、パラソルも借りたし、暑くなればすぐ室内へ逃げられるサンデッキで行ったので、女性やキッズが一緒でも問題なし。

 

冷蔵庫や流しが近いとバーベキューは快適だ。ビールも白ワインも冷たい。コテージのすぐ横にバーベキュー用のスペースもあるのだが、サンデッキでやらせてもらって正解だった。

 

大人数なので焼く人は忙しい。僕もやったが、最後はこの記事(→47ニュース特集記事「大転換」)を書いた春木和弘にお任せ。面倒見も手際もよい男なのでだいたいこうなる。食材の調達も下ごしらえもお願いしてしまった。思えば、学生時代もよく春木の下宿先にみんなで押しかけては手料理をごちそうになっていた。最近では豚のリエットが個人的に大ヒット(いまだにホームパーティで手料理をごちそうになっているんですね)。

 

前夜、恵子ちゃんと話していて、当時、海外へ留学する春木の送別会にかこつけて何度も仲間で酒を飲み、最後は3日がかりの大宴会になったということを思い出した。彼女に言われるまですっかり忘れていたのだが、そういえばそんなこともあった。

 

渋谷で普通に飲み会として始まったのだが、2次会、3次会と続いてカラオケボックスで夜を明かし、河岸を変えて飲み続け、2晩目は上野公園で野宿に近い感じで夜を明かし、夕方焼き肉を食べて解散したような記憶がある。当然1人減り、2人減りしていったが、最後まで残っていた人間も僕を含めけっこういたような。

 

僕は今でも飲み始めるとわりととことん飲んでしまうくちだが、さすがにもうこんな飲み方はしない。周りにだってこんな飲み方をしてる人はいない。

 

若くて、暇があって、人なつこい気分で、馬鹿だった。そういうことなのだろう。と同時に、そういう方向へ気安く流れられる時代の「気分」のようなものもそこには介在していたのではないかという気もする。当時はバブルの全盛期だった。バイトで得た金がだいたい酒と本に消えてしまうような生活をしていた自分は貧乏なほうの学生だと思っていたが、それでも、近頃の世の中とは大違いの(物質的に)豊かな気分とは無縁ではなく、親元で暮らしている安心感を担保にむしろ大いに時代の波にどんぶらこっこ乗っかっていたのではないか、と、ここ20年ほどの世の流れを見たら思わずにはいられない。

 

僕はべつに昔のほうがよかったとか、あれはろくでもない時代だったとか、そういうことは思っていない。たぶん時代にはいいも悪いもない。けれど人が時代から自由でいるのは意外と難しいみたいだ。なんたって、バブルの頃、僕は自分が時代の波に完全に取り残されている数少ない(あるいは唯一の)人間なのだと信じていたのだから。


話がずれてしまった。


今回、バーベキューの具材としての秋刀魚の旨さを春木に教えてもらった。家の近所にある、輸入食品などを安く売っている雑貨屋で、漬けるだけでジャークチキンの味付けができてしまう液体調味料を見つけたので試してみたかったが、忘れてしまったので次回の宿題にしよう。


それにしても、みんな、いい父親、母親になっていくよなあ。


あと、<ル・ファーレ白浜>の出張料理の地魚海鮮丼を初めて体験したが、魚の新鮮さと旨さ、そしてボリュームにびっくりした。今どきの言葉を使うなら、マジパネエっす。一度は試して欲しいが、胃のキャパシティに自信のない人は、1人前を1人で食べようなどとは考えず、2人でシェアすることをお勧めする。

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「BDとは何か」とは何だったか

遅ればせだが、6月30日に早稲田で行われたシンポジウム「BDとは何か」に足を運んだのでその報告を。結論から先に言うと、会は盛況であり、僕は少なからず啓蒙された。 

始まった時点で参加者は100人を超えており、こうしたシンポジウムでは異例だったらしい。会場の入り口で『ユーロマンガ』のvol.1を参加者に無料で配布しており、いずれ買うつもりだったので喜んで頂戴した。100冊が用意されすべてなくなったというのだが、大盤振る舞いである。 

3人のコメンテーターのうち、中島万紀子氏と古永真一は早稲田に籍を置くフランス文学の研究者で、原正人氏は『ユリイカ』の「特集 メビウスと日本マンガ」(これはとても面白かった)にも寄稿している在野のBD研究者である。 

以下、簡単に内容を。 

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・中島万紀子「フランス人にとっての「ドラえもん」?――愛され続けるキャラクターたち――」 

『タンタン』をはじめとする、フランスの国民的なBD作品およびキャラクターの紹介。僕が学生の頃、『タンタン』はオシャレなものとして女の子たちのあいだでちょっとしたブームになっていた。それで敬遠していたのだが、日本語版のフキダシの文字も原典と同じように手書き文字であるという話や、スピルバーグが今度映画化するという話も聞いて、読みたくなってきた。 

その他に『スピルーとファンタジオ』『ガストン』『シュトゥルーフ』(日本では英訳された“スマーフ”として知られている)『アステリックス』『ラピノ』などが紹介された。人気のあるキャラクターはアメコミのように何人もの作家によって描き継がれる。個人的にはトロンダイムの『ラピノ』が読んでみたいと思った。 

興味深かったのは、『タンタン』をはじめ、フランスで人気のある多くの作品がベルギーの作家によって描かれていたということだ。ベルギー人はマンガ好きなのだろうか。

・古永真一「文学/BD/美術」 

タイトルのとおり、BDと文学、BDと美術の関係について。 

1ページで完結してときには笑えるという、きわめてキャッチーなマット・マドンの『コミック 文体練習』などを素材に使って、実験的な漫画を実践するウバポ(Oubapo)という集団、およびウバポ的な実践を行う作家を紹介する。ここまでが文学とBDとの関係。 

登場人物はなく、ゆるやかなシークエンスを形成する抽象画がコマとして並んでゆくという、日本ではまず漫画として認識されないであろうヨッヘン・ゲルナーの作品や、BDのフォーマットで詩人による詩を展開する作品や、コレオグラフィにBDを組み合わせたものなど、美術と親和するBDについて語られる。メモにはヴァンサン・フォルタン、ティエリ・ファン・ハッセリト、オスカー・バイイフなどの名前が記されているのだが、初めて聞いた名前ばかりで、誰がどんなことをしているのかよくわからなくなってしまった。名前も間違っているかもしれない。 

さらに、文学とも美術とも親和性の高いBDとして、パスカル・ラバテの『イビキュス』(アレクセイ・トルストイ原作)やトッピの『シェラザード』、バッタリアの『ポー作品集』などが挙げられる。メモには書いていなかったが、会場で配られていた「早稲田フランス語フランス文学論集」に掲載されていた古永の論文に、BDのアヴァンギャルドを代表する作品として、マルタン・ヴォーン=ジェイムズの『檻』という作品がとりあげられていて、そういえばこれも語られていたように思う。 

何となく、日本の漫画は世界的に見て作品数も膨大でバラエティに富んでいる、という先入観を持っていたが、話を聞くうち、たんに自分が海外の作品を知らなかっただけだという気がしてきた。たぶんそうなんだろう。もしあの場にとんがったことが好きでそういう作品を発表する場所を提供できる漫画編集者がいたらたちまち刺激的な企画をいくつも思いついていたのではないか、と妄想する。僕がそういう作品を知らないだけという可能性もあるけれど、日本の漫画もまだまだやってないことがいろいろあるのではないかというのが一読者としての最大の感想だ。まあ現実問題として、そういう作品が商品として成立するマーケットはたぶんないような気もするが。なんて書くと話がそこで終わっちゃうな。 

『ユリイカ』の「特集 メビウスと日本マンガ」が面白かったのは、メビウスの翻訳などまだ日本で出ていないときに、谷口ジローや大友克洋や浦沢直樹や藤原カムイやバロン吉元や寺田克也といった作家たちが、彼の作品をそれぞれで入手してそこから非常に大きな影響を受けていた、というアーティストの情熱を物語るエピソードが前面に押し出されているからだ。突出した作り手というのは、そもそも貪欲でアンテナが立っている人たちなのだろう。メビウスが大友克洋や宮崎駿と相互に影響を与え合ったように、僕が知らないところでこういうマージナルなBDから影響を受けている日本の作家さんもたくさんいるのかもしれない。 

・原正人「1990年以降のフランスのマンガ―フランスにおける発展と日本での受容」 

原正人氏がBDに関心を持ったのは2005年と比較的最近のことだという。そのきっかけとなった『ペルセポリス』や『ブラックサッド』という作品から、タイトルにあるように90年以降の比較的新しい作品群が日本でどのように紹介されているかが語られる。 

90年代、BDを日本に紹介するにあたって大きな役割を果たしたのは雑誌『モーニング』である。会場のスクリーンに映し出された作品を見ていると、僕も読んだ覚えがあるものがいくつかあった。非常に作家性の濃い作品ばかりで、日本の漫画を読み慣れた目にはとっつきにくい作品も多かったように記憶している。モーニングKCで単行本になっているものがあったなんて知らなかった。『モーニング』は今でもアジアの作家の作品なども紹介しているから、海外の漫画を意識的に紹介し続けているのだ。 

『モーニング』が紹介したBDの作家たちはじつはそうそうたる顔ぶれだった、と原氏は教えてくれる。ラソシアシオンという、作家同士で作った出版社からも多く作品を出しているという。この出版社の作品の特徴は、まず作家主導であること、日本とは逆にそれまでカラーが主体だったBDに白黒の作品を持ち込み、ヒーローものばかりでなく日常を舞台にした作品などへとモチーフも広げた。アメリカのロバート・クラムの影響も受け、自伝的な作品も数多く描かれるようになった。ラソシアシオンが起こしたムーブメントは浸透していき、大きな出版社からも作家性の強いBDが出版されるようになり、自覚的な自伝的マンガは今や一ジャンルを形成するほど隆盛のようだ。 

『青い錠剤』『なぜ僕はピエールを殺したか』『脂肪と私』などの作品やニコラ・ド・クレシーの『小さなクリスチャン』やメビウスの『インサイド・メビウス』などのタイトルが紹介される。メビウスに関してはいえば、すでに73年に『回り道』という自己言及的な作品を出していた。

以上のような作品のなかには、原氏いわく、日本で翻訳しても人気が出そうなものもいくつかあるという。 

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といったところだ。 

固有名詞をはじめ、素人ゆえのまちがいがたくさんあるかもしれないがご容赦を。

シンポジウムの後には懇親会があり(あまり広くない研究室は人でいっぱいになった)、そこにも顔を出し、思いがけぬ方に紹介してもらい、いろいろ刺激的な話を聞いて目が覚めるような思いを味わったりもした。たまには外に出てみるのもいいものだと思った。 

古永真一に関していえば、BD関連でまだ準備している仕事がいくつかあるという。聞いているとなかなか大変そうだが、おそらく彼はあの調子で淡々とこなしていくのだろう。久しぶりに足を運んだ大学の構内には、僕がいた頃にはなかったスタンド式のカフェがあったり、柵で囲った大きな駐輪場ができたりという変化はあったが、基本的な「匂い」みたいなものは全然変わってないような気がした。学校というのは不思議な空間だ。

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AmazonのKindle

こんにちは。

東京にいても日食には暗くなるものとばかり思い込んでいた里見です。

さて。

活字を読むメディアとして紙で作られた本の優位がなくなることはない、と、愛着8、諦観2の割合でずっと考えていた。愛着というのはもちろん慣れ親しんできた書籍というものへのフェティッシュな執着が大半で、あとは閲覧のしやすさとか、書き込みができるといった機能性への支持も含まれる。諦観というのは、デジタルデータとちがって宿命的に保存場所をとることと、かさも重さもあって持ち運ぶのが大変、検索がしにくいという不便さに由来している。これは愛着のほうに属するのかもしれないが、モニタで大量の文字を読むのは疲れるし。 

でも、Amazon.comでKindle2を紹介する動画を見ていたら、この考えが揺らいできた。 

太陽光の下でも反射しないように工夫されたディスプレイとか、携帯電話会社との契約なしに、つまり月々の通信料を払わずにKindleのサイトに接続してどこにいても1冊1分以内に(PCを介さずに)ダウンロードできるとか、Wikipediaも見られちゃうとか、新聞や雑誌やブログなども定期購読できるとか、僕には非常にツボな機能ばかりだ。重さも300グラム弱と軽いし、これで他のインターネットサイトも閲覧できれば(Wikipediaを読むとできちゃうみたいだが)、僕のようにネットブックでも重いと感じる人間には外出時に欠かせないアイテムになりそうな気がする。 

さらにここに、スタイラスなどを使ってページに「書き込む」ことのできる機能があれば、仕事に使う資料については紙の書籍よりもKindleのほうが完全に便利になってしまいそうだ。資料を読み込んでノートを作るとき、喫茶店など外で作業をすることが多いのだが、何冊も持ち歩くのは重いし、かさばる。コンパクトにまとまってしかも検索機能がついているとなれば、作業効率がずっと上がるのではないかと思うのだ(電子辞書のことを考えるとそうとしか思えない)。資料に関しては、絶版になって入手不可能なもの、マーケットプレイスなどでプレミアムがついているものなどもデジタルデータ化されていればよりアクセスしやすくなるのではないかという期待もある。 

もちろんKindleにもいろいろ改良の余地はあって、Wikipediaの記事を読むかぎり、どうやら商品としてあまり成功しているとは言えないらしい。 

それに、まがりなりにも著作権収入を得ている身としては、書籍がどんどんデジタル化されてゆくのはそういう観点から自分にとって「得」なことなのかどうかは不明、であるがゆえに不安も感じるし、やはり紙の書籍というメディアはずっとなくならずに存在してほしいという気持ちもある。が、iPhoneにはさほど食指が動かない僕も(たんにニーズのちがいだが)、Kindleについては、考えるほどに使ってみたくなってきた。日本語版が出る予定はないのだろうか。

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古永真一の活動について情報が入ったのでお知らせします

個展の開催にともない先月来日していたメビウスの特集を組んだ『ユリイカ』が6月末に出る。古永真一(→当サイトでのインタビュー記事)もそこに寄稿しているそうです。興味はあったのだがこれで購入が決定した。 

もうひとつ。やはり今月の末に早稲田大学でバンドデシネに関するシンポジウムがあり、コメンテーターの一人として参加するそうです。 

以下、実施要綱。 

   

・「BDとは何か」   

6月30日火曜日午後5時より。

早稲田大学文学部キャンパス 33-2号館 二階第一会議室(プレハブ校舎)に於て。 

    
「フランス人にとっての「ドラえもん」?――愛され続けるキャラクターたち――」(中島万紀子
)      
「文学/BD/美術」(古永真一)      
「1990年以降のフランスのマンガ―フランスにおける発展と日本での受容」(原正人)

   

シンポジウムは誰でも参加できるそうなので、バンドデシネに興味のある方は気軽に足を運ばれてみては?

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WEBアンソロジー

 西崎憲さんがウェブ上で企画されている“はじめて降りた駅”というアンソロジーに参加させていただいております。タイトルは「故郷のない者はない」。400字詰め原稿用紙に換算すると、6枚ちょっと。非常に短い話です。 

 デザインやFlashデータの作成は西崎さんがなさっている。僕は英語タイトルまでつけていただいた。出来上がったページを見て、うれしくて思わずにやついてしまった。プロアマを問わない同人誌感覚のアンソロジー。仕事の合間に気分転換を兼ねてこの小説を書きながら、そういえば俺、最後に純粋に趣味として小説書いたのっていつだったっけな、と思った。 

 こういうのもたまにはいいなあ。西崎さん、ありがとうございます。 

WEBアンソロジー「はじめて降りた駅」(dog and me recordsの公式サイト内にあります)

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『スマイル』

 大人になると難しくなることの一つに、TVの連続ドラマをフォローすることがあると個人的に思っている。それでも今期は石井康晴がメインの演出を務めるTBSのドラマ『スマイル』を観続けている。 

 社会派、というにはちと甘い設定が散見される気もするが、近未来から現在を振り返り、そこに至るまでに何があったのかを謎とサスペンスで引っ張る構成は魅力的だし、そういった点を含めてオリジナルで面白いものを作ってやろうという制作者側の意欲が感じられるドラマだと思う。 

 主演は松本潤。小栗旬も出演している。ドラマも映画も大ヒットした『花より男子』でも共演した2人だが、それぞれ「花男」とはがらりと変わったキャラクターを演じている。松本潤はフィリピン人と日本人とのハーフで、いつも貧乏くじを引かされるタイプの純真な若者。いっぽう小栗旬は映画『クローズzero』の憎めない不良役とも趣の異なる、いわば「本物のワル」。このコントラストがなかなか楽しい。 

 せっかちな人間としては早く結末が知りたいところだが、四半期に1作くらいなら、1週間気を持たせられるのも悪くない。今夜は第7話。いよいよ佳境にさしかかりつつある感じだ。

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「春を奔る」

 現在発売中の『小説新潮』6月号の特集「ビジネス小説最前線」に「春を奔る」という短編が掲載されています。日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞後初の小説作品です。 

 主人公は、探偵事務所で試用期間中の、佐藤生良(いくら)という若者。当初はもう少しトリッキーなミステリーを構想していたのだが、本物の私立探偵の方への取材をセッティングしてもらってお話を聞くうちに、私立探偵を主人公にしたリアルな「お仕事もの」というのも面白いのではないかと思い、その方向へとシフトさせた。 

 なんて簡単に書いているが、けっこう苦労した。初めての短編で、感じをつかむまでにまず時間がかかってしまった。しかも至るところが粗く、ブラッシュアップをくり返すことでようやく少しずつ形になっていった。

 と書けばまるで自分ひとりが苦労したようだが、直しのたびにその都度的確な指示を与えてくれ、最後の最後まで妥協せず忍耐強く併走してくれた編集者のそれはいかばかりであったろうかと、むしろそのことが心に残っていたりする。

 送られてきた掲載誌を開いたときの喜びは、長編が単行本化されたそれにも劣るものではなかった。何事にも初めての瞬間というものがあり、どれだけ生きていてもそうした瞬間というのは特別なものなのだな、と思った今日この頃の里見です。

 

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『CAPTAINアリス』

 講談社『イブニング』誌上で高田裕三先生の『CAPTAINアリス』という漫画の掲載が開始された。僕は企画協力という形でお手伝いをさせてもらっています。 

 高校生のとき『ヤングマガジン』で『3×3アイズ』の連載が始まって、僕の周りでもたちまち熱狂的なファンが生まれていたのを昨日のように思い出す。まさかその高田裕三さんとお仕事をさせていただける日が訪れようとは。人生とはわからないものだ。 

 『CAPTAINアリス』は女性パイロットが主人公の漫画で、この仕事のために僕が多大なるご助力を賜っている現役のパイロットさんは、中学高校時代の部活の先輩である。へなちょこ部員として厳しい指導を受けていた頃は、大人になってまでこうした形でお世話になろうとは、もちろん夢にも思っていない。たぶんお釈迦様もわかっていなかったのではないか。人生って、不思議なものですね。

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白浜へ・その3

 <リブロス>から<ル・ファーレ白浜>に戻ったのは、夜の6時過ぎ。コテージに入ると2階のキッチンから料理を作っているいい匂いが漂ってきた。じつは、この日の夕食はイタリアンの出張シェフにお願いしていたのだ。

 <ル・ファーレ白浜>では、和食や中華料理やピザなどのデリバリーが頼める他、日本料理とイタリアンの出張料理のサービスも行っている。それは素敵だ、と思い、恵子ちゃんに手配してもらった。 

 仕込みは4時半頃から。留守にしていてもこうして準備をしてもらえる。キッチンには、シェフの宇田川氏とアシスタントを勤める宇田川夫人のお2人がいらした。出張料理をお願いするなど初めての経験なので、興味津々、ひとまず持参のスパークリングワインを開けてあれこれとお話を聞く。シェフは忙しいので、気さくな夫人が主に会話の相手をしてくれた。 

 宇田川氏はふだんはイタリア料理店で働き、休日に出張シェフをしているという。料理は地の魚や野菜を中心にしたもの。すぐに登場した前菜は白浜ではこれが一番のお勧めだという鯵を使ったカルパッチョだった。旨い。たしかにここでなくては食べられない味だと感じた。メインには栄螺(さざえ)と胡麻鯖が出た。どれも書いている今思い出しても生唾が湧いてくる。 

 ちなみにお値段だが、他にサラダ、スープ、パスタ、デザート、それにワインが1本(赤か白かを選べる)ついて、2人で8,000円である()。ボリュームもあるし、宇田川ご夫妻のナチュラルな接客で肩肘張ることもなく、お店じゃないので時間を気にせず酒を飲んでいられるし、何よりちょっぴり非日常的で贅沢な気分を味わえることを考えると、安い……! と唸った。 

 お2人はひと通り料理の準備をすませると、あとはごゆっくり、と引き揚げていった。ワインをかたわらに果てしなくゆっくり食事をしていると、恵子ちゃんが明日の朝食にと千倉にあるパン屋さんで焼かれたというパンを持ってきてくれたので、しばらくおしゃべりを楽しんだ。 

 彼女は今、もう少し海寄りの場所にコテージの第二棟を建設中で、7月には完成するという。小説家はそういう設備投資とは無縁の仕事なので、感心する。いろいろ大変に違いないのだが、それを感じさせないところにも。たぶんそれは、恵子ちゃんのビジネスが、持って生まれた彼女のホスピタリティの延長線上に自然に存在するものだ、というところが大きいのだろう。 

 <ル・ファーレ白浜>には宿泊以外のプランもいくつかあるが、月に1度、宇田川シェフがビュッフェスタイルの料理とともにワインを供する、会費制の試飲会も行われており、近在の多種多様な人が集まって盛況であると宇田川夫妻から聞いていた。文化的なサロンの趣もあるように感じられた。恵子ちゃんの本質は昔から変わっていないのだな、と思いつつ、翌日僕はこの地を離れた。 

 もちろん戻ってくるつもりだ。<リブロス>でワインも飲みたいし、今回できなかったBBQのリベンジも果たしたい。日帰りでもBBQのできる施設はあるが、車だと運転する人間は酒を楽しめない。聞くところでは、最近はキャンプ場の設備も本末転倒ではないかというくらいに充実しているらしいが、天気が悪くなったらホームシアターか、あるいはスタジオでのセッション(!)という転びようのある<ル・ファーレ白浜>のようなところはまずなかろう。夏の間に、BBQプラス1泊のプランを仲間で企画できたらいいなと思っている。 

※価格は僕が利用した時点のものなので、ご利用をお考えの方はご確認ください。

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白浜へ・その2

 千倉には、僕らと同じ学部、学科を卒業した、先輩に当たる方が経営するワインバーがあるのだと以前から恵子ちゃんに聞いていた。恵子ちゃんが僕のことを話したら、僕の小説も読んでくださったという。せっかくだからお目にかかろうと、<リブロス>というそのお店を目指して車を走らせたのだ。(→<Cafe Liblos>HPへ 

 開店したばかりの店に入ると、カウンターのなかで温厚そうな男性が迎えてくれた。店主の小宮さんだ。スペイン語で「本」を意味する店名にふさわしく、壁の一面は作り付けの本棚になっており、映画、酒、食べ物に関する書籍がぎっしり詰まっている。 

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(眺めているだけで和んでくる本棚。正面からも撮ったがピンボケだったので割愛)

 小宮さんは図書館司書というユニークな前歴を持っている。ご出身は東京。この地に惚れ込んで移住されたのだという。千倉やその近辺にはそんなふうに移り住んでくる人がたくさんいるそうで、一種の文化的なコミュニティが形作られているみたいだ。 

 GWの前半には、そういう人たちが中心となって「アート・フリーマーケット・イン千倉」という催しが盛大に行われたばかりとのこと。一足遅れで楽しそうなイベントを逃してしまった。その代わり、というか、小宮さんは、そのフリーマーケットにも出品されているイシイタカシ氏というアーティストの直筆画を見せてくれ、素敵な絵葉書を何枚もお土産としてくださった。いい人だ。 

 澁澤龍彥の全集が本棚の一角を占めている小宮さんは、もともとファンタジーがお好きなそうで、最近読んでいる小説をうかがうと、日本ファンタジーノベル大賞出身作家(僕ではありません)の最新作だった。やっぱりいい人だ。 

 僕は運転があるので今回はコーヒーを飲んだが、<リブロス>では非常にリーズナブルな値段でワインを楽しむことができる。同行者は、小宮さんの自家製スモークなどをつまみに、ゆっくりお話をする間にグラスワインを3杯も傾けていた。それもじつに旨そうに。次は絶対お酒を飲まない人の運転で連れてきてもらおうと固く誓い、お店を後にした。

(その3へ続く)

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白浜へ・その1

 ゴールデンウィークに、2泊3日で南房総の白浜へ行ってきた。 

 学生時代からの友人である山口恵子ちゃんが、この地で昨年の春から<ル・ファーレ白浜>という貸し別荘を経営している。 (→<ル・ファーレ白浜>HPへ 

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(<ル・ファーレ白浜>1階の図書室。僕の著書も飾ってくれていた) 

 日本ファンタジーノベル大賞のお祝いに1泊をプレゼントしてくれるという、うれしい申し出をいただき、お言葉に思い切り甘えてGWというハイシーズンに予約をお願いしてしまった。もちろん、もう1泊は自腹です。

 彼女が住む白浜は僕にとって思い出の地である。学生時代に友人たちと作っていた草野球のチームで初めて合宿をしたのが、恵子ちゃんのご実家なのである。おまけに恵子ちゃんのお父さんは、知人の方々に声をかけ、草野球チームを編成して球場を借り、僕らのチームとの試合の段取りまでしてくださった。すごいのは、この合宿にスケジュールの都合で恵子ちゃんは参加せず、恵子ちゃんのご家族と僕たちとは初対面だったということだ。 

 度量の大きなご家族なのである。もちろん当時は貸し別荘など経営していない。僕らは普通に恵子ちゃんの友人として泊めてもらい、試合の後にはバーベキューまでごちそうになったのだ。それにしても、昔から人のご厚意にはとことん甘えてしまう性質なのですね、私は。 

 コテージにはバーベキューのできるスペースがある。天気がよければ初日はここでバーベキューを楽しむつもりだったのだが、あいにくの雨。 

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 (本当はここでBBQができる。写真は最終日に撮った) 

 大きなリビングダイニングで持参してきた映画のDVDを観ながら持参してきた酒を飲むうち夜になり、中華料理のデリバリーを頼んでさらに飲むうちに初日の晩はあえなく沈没。どうも疲れが溜まってたらしい。 

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 (リビングダイニングからの眺め。これも最終日に撮った。かろうじて雨が上がっているけれど曇っている) 

 ちなみに、リビングダイニングのAVセットはスピーカーシステムが素晴らしく、DVDも臨場感たっぷりに楽しめた。これがホームシアターってやつ? オーナーのこだわりが感じられた。 

 そうそう、いい忘れたが山口恵子ちゃんは音楽をこよなく愛する人でもあって、この<ル・ファーレ白浜>もおそらく一番の売りは1階に作られているスタジオなのだ。レコーディングもできる本格的なスタジオで、音楽をしない僕には宝の持ち腐れだが、大人がバンド合宿をやるには最高の環境だろうなあ、と思った。 

 2日目も雨。南房総は温暖な土地だ。天気がよければウッドデッキで日向ぼっこでもしようと思っていたのだが、残念ながら断念。

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 (ウッドデッキ。右に見えるのはお風呂。もちろんこれも最終日に撮った) 

 館山の駅でレンタカーを借りてドライブをした。GWの最終日だが、どこでも渋滞に遭わなかったのは雨のおかげか。房総フラワーラインと呼ばれる海沿いの道を走って、夕方には白浜から30分ほどのところにある千倉へと向かった。

その2へ続く)

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僕の初仕事

 更新が遅いのでもうひと月以上前の話になってしまうのだが、先月のはじめ、東京會舘で行われた徳間文芸賞授賞式に顔を出した。僕は飲み会は好きだが大きなパーティはそれほど得意じゃない。人がたくさんいる場所がじつは苦手だ。

 でも今回は、現在日本SF作家クラブの事務局長である久美沙織さんが日本SF大賞の授賞式の司会をされるというので、足を運んだ(片づけなければならない仕事があったので、かなり遅れての参加となり、結局久美さんの司会ぶりを拝見することはできなかったのだが)。 

 久美さんと知り合ったのは僕がまだ学生の頃だ。高校の頃からの友人が久美さんのファンで、そのご縁だった。友人も僕も小説家志望で、当時久美さんが池袋のコミュニティカレッジというカルチャースクールで担当されていた講座に生徒として参加した。作文術と銘打たれたその講座は、小説の書き方をレクチャーするものだった。 

 ここでの講義の内容は、そののち徳間書店から書籍化される。『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』という本がそれだ。講座を本にまとめるにあたり、友人と僕はそのお手伝いをした。テープ起こしした文章の編集や、欄外に注釈をつけるといった作業だ。 

 それは、僕のこの「業界」での初仕事となった。お金の話をすると、ギャラは印税という形で支払われた。友人と僕の仕事はライターとしてのそれであり、作業に対していくらいくら支払われて終わりでも当然だったのだが、久美さんがご自身の印税から一定のパーセンテージを僕らに割いてくださったのだ。 

 「夢の印税生活」などという言葉がある。久美さんは、小説家志望の僕らに、ある種のイメージトレーニングとして、その夢の一端を垣間見させてくれるためにお手伝いをさせてくれたのではないかと思う。 

 僕がお手伝いしたのはこの1冊きりだが、その後、久美さんは、『もう一度だけ新人賞の獲り方おしえます』『これがトドメの新人賞の獲り方おしえます』と計3冊、“新人賞の獲り方おしえます”シリーズを書かれている。3作目は、『小説あすか』という雑誌上で読者のなかから小説家志望者を募り、彼らの成長をリアルタイムにRPG形式で描いてゆくという、こう書いただけではちょっと想像できないユニークな方式を採用している(この3作目に登場する小説家志望者の一人は、のちに第2回日本SF新人賞を獲ってデビューする、吉川良太郎さんである!)。 

 『久美沙織の新人賞の獲り方おしえます』には、もしこの本を読んで本当にデビューできたら、ビールの一杯でもおごってね、という内容の、久美さんらしい洒落の利いた一文がある。ところがこれが洒落に終わらず、なんと、『パラサイト・イヴ』で華々しいデビューを飾った瀬名秀明氏からビールが1ケース久美さんのもとへと贈られてきたのだ。 

 それが前例となってか、その後も久美さんには、この本を読んでデビューされた方たちから、ビールやビール券などが届くようになった。本が出てから16年後、ようやく僕も彼女にビールを謹呈することができた(日本ファンタジーノベル大賞は「新人賞」ではないけれど)。聞けば、これまでに何十人という人からこの本のからみでビールまたはそれに類するものが贈られてきたという。本のインサイダーだったにもかかわらず、僕はずいぶんたくさんの人に遅れをとってしまったわけだ。 

 授賞式の会場には中村弦さんもお見えになっており、久美さんをご紹介したところ、なんと弦さんも『新人賞の獲り方おしえます』を読まれていたことが明らかになった。弦さんと僕はいろいろな点で対照的だと思うのだが、同じ回に日本ファンタジーノベル大賞を受賞したという他にもある共通点というか近似項があることがわかり、勝手に親近感を感じている。またひとつご縁があったような気がしてうれしかった。 

 ビールのくだりは失念していたという弦さんは、後日さっそく久美さんにビール券を贈られたそうである。律儀な人なのだ。 

 そういえば、今年の日本ファンタジーノベル大賞の締め切りまであと2日。応募される方はきっと最後の追い込みにかかっているにちがいない(小説の公募で締め切りに余裕を持って提出する人は、圧倒的に少ないと思う。僕は去年、締め切りである4月30日に原稿を発送した(当日消印有効))。 

 去年の今頃のことを思い出したら、どきどきしてきた。今年はどんな方が受賞されるのだろう。今から楽しみだ。

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『DOLLSTAR』2巻が出ました

 お待たせしました。

 『DOLLSTAR ~言霊使い異本~』の第2巻が発売されました。

DS2

 『DOLLSTAR』はこの2巻をもって完結です。

 巻末にはあとがきとして「DOLLSTAR誕生秘話2」が掲載されており、槇さんの文章も読めます。

 忘れないうちに「漫画原作事始め」の続きを書こうと思いつつ、なかなか書けずにいます。

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エッセイ書きました

 本日(3月17日)発売の『小説すばる』4月号にエッセイが掲載されています。“Oh! マイアイドル”のコーナーです。タイトルは「看板娘」。海の家の話を書いています。

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アドレナリンか、日々の満足か

 昨日、最寄りの税務署に確定申告書を提出。とりあえず一件落着した。

 疲れた。この時期、領収書の整理に始まり、記帳から何からまとめてやるという方法だから、短期間にこなす「量」がまず多いということもある。が、こういう作業をほぼ1年ぶりにやるので、去年どうしたかを忘れてしまい、何というか「経験値」がゼロに戻ったところから改めて一つ一つ手順を確認しながら積み上げていかなくてはいけない非効率さによって生じるストレスが非常に大きかった。

 まあそういう「物忘れのよさ」は今に始まったことではないので、それだけたくさん新しいことを覚えたのだと無理にでも前向きに考えることは不可能ではない。が、なんでこまめにやらずに、まとめて一気にやろうなんて思ったんだよ! と、この1年の自分を責めたいような気持ちになったのも正直一度や二度ではなかった。そこから得た教訓を来年の今頃の自分に生かしてやるために、一連の作業のフローチャートを作成。俺って賢いじゃん、と人知れず鼻の穴をふくらませたのであった。

 でも、考えてみれば、確立されたやり方を忘れないうちに、もうすでに2ヵ月以上経っている今年の分の領収書の整理と記帳を始めて、さらにその後は1週間ごととか、せめてひと月ごとにそうした作業をすればいいだけのことなんだよなあ。

 ……去年の今頃も、きっと同じことを考えていた気がする。うーむ、デジャビュではないなこれは。

 ただ、締め切りの間際まで溜めに溜めたものを、まとめてガーッとやっつけるという行為には、ストレスに比例した快楽――祝祭感というか、してやった感というか――乗り切ったあとには両拳を挙げて、腹の奥底から「エイドリア――――ン!」とでも叫び出したいような巨大な満足感がある。よくわからないけど、アドレナリンか何か脳内物質が出ているんだと思う。

 小説家や漫画家には、たとえ日数に余裕があっても、締め切りぎりぎりになるまで仕事にとりかからない(とりかかれない)という人がけっこう多い。その事実が、こうしたアッパー系の脳内快楽物質への依存度の高さを物語っているのは間違いなかろう。

 しかしそれも、溜まりに溜まったストレスの裏返しと考えると、さほどありがたみも感じられなくなってくる。いつかやらなくてはいけないが、放置しているタスクへのストレスというのは、顕在意識では抑圧されていたとしても、潜在意識下には蓄積され、僕らの心を日々着実にむしばんでいる――と書くと大げさだが、他のもっと建設的なことに向けるべき意識のリソースを奪っているのは確かだと思うのだ。

 今年はひとつ、こまめに記帳することによって得られる快楽――限られた脳資源を有効に活用していることに基づく自己信頼感を積み上げてゆく気分のよさ――を味わってみたいものだ。

 ……えーと、これはデジャビュだよね。たぶん…………。

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確定申告

 確定申告の季節だ。僕は、市販のソフトを使って青色申告をしている。領収書を整理し、業務日誌とつき合わせて経費を入力するという作業が中心になる。ソフトのおかげで帳簿づけはさほど難しくは思えないのだが、例年まとめてやるのでなかなか大変だ。

 領収書などの証憑(しょうひょう)類は、税務署に求められた際に提出できるよう、7年間は保存しておかなくてはいけない。封筒にざっくり入れておいても保存には違いない。が、僕はスクラップブックに貼りつけている。取引の入力をするのもあとで調べるのもこのほうが楽だし、散逸の不安も少ない。

(これが、たとえばAmazonの領収書のように、すべてがA4判で統一されていたとしたら、月別にフォルダに入れておくほうが手間がないだろうと思う)

 こういう作業は早め早めにすませておきたい性分なのだが、今年はまだ領収書の整理までしか終わっていない。他にやることがいろいろあって――といえば、だいたい毎年そうなのだから、頭の切り替えがうまくいっていないのだろう。

 物語作りに集中して創作の過程に深く沈潜してゆくと、確定申告のような作業が、その集中をさまたげる「雑事」のように感じられることがある。

 ヴィリエ・ド・リラダンに『アクセル』という小説があり、同名の主人公のセリフに「生活? そんなものは召使いにまかせておけ」というものがあるらしい。僕はそれを学生時代にコリン・ウィルソンの『夢見る力』で知っただけで原典には当たっていないのだが、非常に印象に残っているのは、当時の僕の気分にぴったりの言葉だったからだ。

 その頃僕は自分のことを天才で、いつか凄い小説を書くことこそ使命なのだと信じていた。思い込みのなかには致命的なほどに人生を危うくするものがあるが、僕にとってはまさしくこれがそうだった。そんなふうに思っていたために、その後どれほど苦労したことか。

 僕が今、まがりなりにもこの仕事を続けられているのは、そういう思い込みがこっぱみじんに打ち砕かれ、「天才でない自分」と向き合うところからあらためて一歩を踏み出したからだ。それは、自分のなかにある、アクセルのセリフに象徴されるような“ロマン派のアウトサイダー”的傾向を克服してゆこうとする、長い長い苦闘のプロセス――おそらくまだすっかり終わったわけではない――なのだとも言い換えられる。

 かつて僕は、自分は生得的に作家なのだと信じていた。今は、たぶんそれは後天的に獲得されたものであり、その状態を維持するためには相応の努力を払わなくてはいけないと思っている(世の中には、こういう当たり前の結論にたどり着くまでに、えらく時間がかかる不器用な人間がいるのですよ。また、世の中には生得的に作家であるとしか思えない人もいっぱいいて、作家という職業がそもそも生得的なものに思われがちなので、現実を直視するのはそれなりに勇気がいるのです)。

 今では僕は、物語を作るといういわゆるクリエイティブな側面ばかりでなく、作家というスモールビジネスのマネジメント的な側面にも同じように愛情を感じている。

 確定申告は雑事ではない。好きな仕事を続けてゆくための大切な作業なのだ――そう頭を切り替えるためにこの記事を書いた。よし、記帳するぞ。

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『DOLLSTAR』第2巻は来月出ます

 Yahoo!コミック上のウェブマガジン『Zoo』でも大詰めを迎えた、『DOLLSTAR 言霊使い異本』の単行本第2巻は、3月23日発売予定です。

 現在、そのための準備をしています。

 ちなみに、本誌である『マガジンZ』が本年3月号をもって休刊したのに伴い、『Zoo』も3月いっぱいで配信を終了します。

 『DOLLSTAR』も、あと一回の配信で終了。単行本も、来月刊行の第2巻で完結ということになります。

 現在の漫画業界では、連載作品が単行本2巻で完結というと非常に短い印象があります。ひょっとしたら、志なかばで倒れたという印象を受ける人もいるかもしれません。

 『DOLLSTAR』はどうなのか?

 その辺りは、ぜひご自分の目で確かめていただきたいと思います。

 あ、そうだ。

 第1巻は、たちまち重版がかかっていました。ありがとうございます。

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書き込みできない本

 都筑道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』という本を久しぶりに読んだ。前に読んだのはたぶん15年以上昔のことだ。晶文社の本で、新装版が1998年に刊行されたらしいが、もちろんそちらではなく、1975年の初版本だ。カバーにはハトロン紙がかかっている。学生時代に古本屋で買ったものに違いないが、ハトロン紙から値札がはがされた痕があって、いくらで買ったのかは定かではない。

 僕は普通、読書をするときには4色ボールペンを傍らに置いている。気になるところや重要だと思えるところには、どんどん線を引いたり、感想や思いついたことを書き込んだりする。人生のある時期には読み終えた本を引越しの際にまとめて古本屋に売るなどしていたこともあり、その頃は少しでもいい値で売れるようなるべく「きれいに」読むのを心がけていたものだが、今はもう、自分が一度読んだ本をふたたび世の中に流通させようという考えはなくなってしまった。

 だから、乏しい記憶力を補うために、読んだ本の内容を少しでも頭に刻み込もうとがんがん書き込みをする。基本的に、絶版になって手に入らない本の他はAmazonのマーケットプレイスなども利用せず新刊で購入しているから、新しい本に書き込むことになる。書き込まないと読んだ気がしないようにさえなった。高価な本とて例外ではない。赤青緑黒。自分なりの基準にしたがって書き込み、さらにページの隅を目印としてドッグイヤーにぐいぐい折り返す。遠慮はしないのだ。

 ところが、この本には書き込みができなかった。

 書き込むことがないというわけではない。『黄色い部屋はいかに改装されたか?』には、都筑道夫の「本格推理小説」に対する考えが実作面からも書いてあり、今読んでもためになる部分が多い。読みながら何度もボールペンに手が伸びそうになった。頭のなかでは自分ルールで線を引いている。でも実際には、その箇所のあるページに付箋をつけただけで、最後までボールペンで書き込むことはなかった。

 書けなかったのだ。

 いや、この本が、どうやら新装版のほうも絶版になっているようだし、ましてそれ以前の初版本だから、書き込まなければいつかプレミアムがついて高く売れるのではないか、とか、そういうことを考えて書かなかったわけではない。本を書いて報酬を得たいとは思うが、人の本を売買することで利益を得ようという考えはとりあえず今現在はない。

 経年なりに黄ばんでいるけれど紙には虫食いも破れもなく、なかには刊行当時のものとおぼしき晶文社の書籍案内が挟まれていて、そして誰かの手――古本屋さんだと思うが――によって丁寧にハトロン紙がかけられている。幾度もの引越しや有為転変を経た後も、この本がまだ自分の手元に残っていてくれて、たいして大切に扱ってもいないはずなのに、古いながらもたぶんその最上の状態を保っていてくれたのだと思うと、書けなくなってしまったのだ。

 ずっと昔から持っていて、まだ本棚に残っている本と、同じくらい愛着があったのに、さまざまな理由で手元に残せなかった本たちのことを考えたら、なんだか酒が飲みたくなってきた。

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ラッパ屋第34回公演『ブラジル』

 前のエントリと順序が逆になってしまったが、先週、弘中麻紀ちゃんが出演する、ラッパ屋第34回公演『ブラジル』(→ラッパ屋公式ページ)を観た。

 僕は演劇はそれほど観ていないので、気の利いたことを言う自信はない。でも、大人が楽しめる喜劇で、満員の紀伊國屋ホールが、どっかんどっかん、何度も爆笑に湧いたことは保証できる。

 息の合った役者さんたちの掛け合いが楽しい。登場人物はみなわれわれと等身大の人間で、われわれと同じように中年なりのさまざまな問題を抱えている。……のだが、みんな、いくつになってもどこか成熟しきれていないというのがポイントで、だからくたびれた大人たちのドラマにはならず、ストーリーも演出も、それを体現する俳優たちの肉体を含めて躍動感に満ち満ちているし、だから、喜劇でありながら非常に身につまされるリアルな手ごたえを持っている。

 僕が観たラッパ屋の舞台はどれもそうだが、観終えると、いろいろ大変な人生がいつもより少し愛しく感じられる。

 基本出不精で、舞台へそれほど足を運ばない僕を劇場へ向かわせる大きな原動力は友人である麻紀ちゃんの存在なのだが、彼女がラッパ屋に所属していることを、とてもラッキーに思う。

 『ブラジル』は、この後、大阪で公演するそうです。

(余談だが、『ブラジル』の幕と幕の間をつなぐ音楽(何と呼ぶのでしょう?)には、映画『未来世紀ブラジル』のサントラが使われていて、あのディストピア映画の音楽が、「大人の青春コメディ」とも呼べそうな舞台に、不思議なほどハマッていた)

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昨日は

 学生時代の友人の結婚披露宴だった。

 大変に華やかな宴だったのだが、新郎新婦の人柄が感じられる、あったかいパーティでもあった。

 結婚というのは、そもそも恋や愛の延長線上にあるとはかぎらない制度のはずだ。愛し合っている二人が結婚するのを見るのは、だからいいものである。それが古い友人なら、素直にうれしい。幸せのおすそ分けをしてもらったような気持ちになった。

 うれしくて昨夜はしこたま飲んで、今日は二日酔い。思いっきりお約束どおりですね。

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古永真一へのメールによるインタビュー 『線が顔になるとき ―バンドデシネとグラフィックアート―』の紹介を兼ねて

 大学以来の友人である古永真一は、フランス文学の研究者である。その彼が、昨年、初の単独訳書を出版した。『線が顔になるとき ―バンドデシネとグラフィックアート―』(人文書院)という本だ。

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 ティエリ・グルンステンという、ベルギー生まれの著者による、いわゆる「マンガ学」の本。フランス語圏では、マンガのことを「バンドデシネ」と呼ぶのだ。

 僕もマンガとは無縁の身ではない。この本の出版の話を聞いたときから、楽しみにしていた。

バンドデシネ(フランス語圏のマンガ)やアメリカン・コミックスから、ジャコメッティなどのファインアート、カリカチュア、手塚治虫や北斎まで。マンガ、デッサンを題材とした「顔」の図像学。

                                  (オビより)

 という本書を、僕は興味深く読んだ。

 興味深かったポイントは、二つ。

 一つは、この本で著者がカバーしている時間的な奥行きと、空間的な広がりに、びっくりしたことだ。日本でも北斎について触れられているが、ヨーロッパでも、ウィリアム・ホガースという18世紀の画家から現在のマンガ家にいたるまでが西洋美術史を背景に縦横に語られており、現代のマンガも、ヨーロッパから南北アメリカ、日本の作家や作品にまで広く言及されている。

 実を言うと、僕は、日本でも昨今盛り上がっている「マンガ学」について、ほとんどフォローできていない。『テヅカ・イズ・デッド』も何年か前に買って読み始めたが、途中で止まっている。とはいえ、漠然と抱いていた「マンガ学」というものへの概念がくつがえされるような驚きを受けた。

 もう一つは、上とも関連しているのだが、そうして広く言及される作家のなかに、アルゼンチンのムニョスをはじめとして、ぜひ日本でも紹介して欲しいと思えるマンガ家が何人もいたことだ(本書で取り上げられる作家のなかで、アメリカのロバート・クラムはたまたま読んでいたのだが、それは日本で翻訳本が出ていたからだ。チャールズ・ブコウスキーのような作家が好きな人は、きっと好きだと思う)。

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 ただし、僕が興味深く読めたのは、もともと多少は海外のコミックに興味を持っていたことと、翻訳者が友人であるという点も大きいかもしれない。

 というのは、この本、あの人文書院から出ているだけあって、アカデミックでわれわれ一般人にはなかなか手ごわい内容だからだ(余談だが、人文書院といえば、僕にとってはまず何よりも学生時代に読んだサルトルの『嘔吐』である。アカデミズムの代名詞のような出版社という印象があり、そこから古永が訳書を出すと聞いて、まず驚き、それからしみじみ感動した)。

 たとえば、僕が面白く感じた、マンガ家がキャラクターを生み出すさいにぶつかる類型化の問題に関して述べられている部分は、こんな具合だ。

 

キャラクターの視覚的な造形化は、マンガ家の側からすると邪気のない作業とはいえないであろう。字義的な意味を必然的に逸脱して、現実に依拠するか、原型を活用するかでつねに緊張しつつ、個と類の間でバランスをとる作業は、読者による物語の受容を決定的なやり方で方向づける創造的行為である。美学と同様、表現によって人間に関する真の哲学が問題となるケースがあるのだ。したがって最終的に、顔はつねに二度、自らを露わにする。顔は、表現対象の内奥の自我だけでなく、作者の考えやシンパシーや偏見も露わにするのである。

                                (P.73より)

 図版もたくさんあり、それほど厚い本ではないのだが、全体に密度の濃い文章が続いていて、本を読むのは早い方であろうと思われる僕も、読み通すのに時間がかかった。読み通すには読み通したが、難しいところも多く、どこまでちゃんと内容を理解できたか、正直、こころもとない。

 マンガ学への造詣もほとんどないこともあり、ブログで記事にしたいと思ったが、うまく紹介できるという自信が持てなかった。

 ということで、このブログでは初めての試みとなるのだが、本の解題も兼ねて、翻訳者である古永真一への、メールによるインタビューを企画。本人の快諾と協力を得て、掲載します。

 

■古永真一へのインタビュー

(以下、「里見」は里見蘭、「古永」は古永真一)

里見:現在の専門は?

古永:1930年代を中心とするフランス現代思想や文学から出発して、現在はイメージとテキストの関係を扱うような視覚文化論ですね。バンドデシネへの関心もその延長線上にあります。

里見:博士号はジョルジュ・バタイユに関する論文で取得しているけれど、どうしてBD(バンドデシネ)に関する研究を始めるようになったのですか?

古永:博士論文を書くと否応なしに一区切りつきますから、さてどうしようかというスタートラインに立つことになります。もともと日本のマンガには親しんでいましたが、フランスのマンガを「研究」しようとしたきっかけを振り返ってみると、四、五年前に「ジョルジュ・バタイユとバンドデシネ」という論文を書いたことでしょうか。

 バタイユという人は、サブカル評論の先駆者みたいな人で、おもしろい論考をいくつも書いています。とはいえ、バタイユとマンガにはそれ以上の深い結びつきはありそうもないので、それ以降の論文では自然とBDという領域に特化していきました。それでBDについていろいろ調べてみるうちに、フランス語圏のマンガに対してそれまで抱いていたイメージ(「タンタン」「メビウス」「アメコミ的な作品が多い」)とは異なるような、多彩な作品があることがわかりました。

里見:本書で驚いたのは、フランス語圏はもちろん、広くヨーロッパやアメリカ、南米のマンガまで視野に入っているばかりでなく、日本でも北斎漫画(!)に始まり、手塚治虫や藤子不二雄や谷口ジローから、少女マンガやポケモンにまで言及されていること。フランス(あるいはヨーロッパ? それとも海外?)の「マンガ学」って、こういうグローバルな視点で語られるのが普通なのでしょうか?

古永:まず言えることは、筆者のティエリ・グルンステンさんが博識だということですね。背景としては、英語やフランス語を母国語として扱える欧米の研究者の恵まれた研究環境があるでしょう。日本では海外マンガの翻訳は少数ですが、フランスでは世界中のマンガが仏訳されています。日本のマンガも90年代に入ってさかんに仏訳されるようになりました。

 日本人による日本のマンガ研究も目覚ましい成果を挙げていますが、グローバルなマンガ研究を推進するには、日本ではまだ言葉の壁が立ちふさがっている気がします。日本のマンガ市場はそれだけ規模も大きく成熟しており、完結しているのかもしれませんが、さらなる発展を遂げるためには外部からの刺激が必要だと思います。BDの紹介や翻訳はそのためのひとつの手段かと思います。このあたりは「内向き肯定論」(声高に主張する人はさすがに少ないですが)もありますから意見が分かれるかもしれません。

里見:本書について、翻訳者として、読者(既読も未読も含む)の方々に一番伝えたいことは何ですか?

古永:本書にはたくさんの図版が収録されていますが、フルカラーではありませんし、BDにはこれ以外の傑作もたくさんあるので、この本を読んでBDのイメージを決めないで欲しいということかなあ。

 そもそも本書はBDの紹介や解説を目的として書かれたのではなく(巻末の略伝の部分などはそういうニーズを意識して作成しましたが)、「描かれた顔」という主題を論じた本です。マンガだけでなくヴィジュアル・アートや文学、映画、観相学、心理学、哲学とさまざまな領域を横断していますから、マンガに興味がある方以外にも読んでいただければと思います。描かれた顔がかもしだす摩訶不思議なおもしろさの謎、既成のマンガの枠を越えたBDの多様性を少しでも感じ取ってもらえれば、訳者冥利につきます。

 哲学的な言い回しなどは難しく感じられるかもしれませんが(フランスの悪しき伝統?)、これも異文化の歯ごたえだと気にしないで読んでもらえればと思います。訳者の言い訳に聞こえるかもしれませんけど。

里見:ぜひ日本で紹介したい、おススメのBD作家・作品は? 

古永:おススメを挙げればきりがないんですが、とりあえずロレンツォ・マットッティやフランソワ・スクイテンといった巨匠の作品は、もっと紹介されてしかるべきだと思います。色彩や線描の魅力が堪能できるはずです。昨年は『ユーロマンガ』という雑誌も創刊されて、私の好きなニコラ・ド・クレシーの作品も掲載されていましたが、こんな風に日本語で気軽に読めるようになるといいですね。

里見:BDに限らず、今後の活動予定を教えてください。

古永:BDがらみで本を書いてみたいですね。昨年から半期、首都大学東京で「バンドデシネ比較文化論」という授業をやらせていただいて、あれこれ考えたこともありますし。里見蘭の「島耕作」のノベライズもそうだけど、マンガも小説もそれぞれ独特の表現世界があって実におもしろい。どっちが優れているとかそういうことではなく、どちらも楽しんで「研究」できればと思います。これは日仏のマンガにも言えることでしょうね。優劣を競って自己愛的なナショナリズムに閉じるのではなく(日本のマンガのクオリティは言わずもがなですよね)、日本のマンガに対する関心の延長線上にBDの世界が新たに開けてくればいいなと思います。

                                   (終わり)

 対談形式にしているが、実際には、里見が質問事項をまとめてメールし、まとめて回答してもらう、という方法をとった。里見のインタビューアーとしての稚拙さはあるかもしれないが、やはり、翻訳者に紹介してもらうと、ぐっと伝わる気がする。バタイユがサブカル評論の先駆者というのは、代表的な小説を何作か読んだだけの僕は知らなかった。拙著にもさりげなく触れてくれた気配りも含めて、古永真一にはあらためて感謝したい。

 インタビュー中に名前の挙がった作家に関しては、ぜひ翻訳してもらいたいものだと、友人としても一読者としても思う。

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新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 というご挨拶を年明けそうそうに書こうと思っていたら、気がつくと鏡開き。まあ、風邪をひいたりしていたのでやむを得ない部分もあるが、つくづく自分はブロガーじゃないなあと思う瞬間だ。

 ん?

 これまでずっと「です・ます」調で書いてきたのだけれど、ふと「である」調で書いてみたら、これも悪くないな。

 今年からはこれでいくかもしれません。

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日本ファンタジーノベル大賞・授賞式

 11月25日、丸の内にあるクラブ関東にて、第20回日本ファンタジーノベル大賞の授賞式およびパーティが開催されました。

 東京銀行協会ビルヂングという建物のなかにあるこの施設は、会員しか使用できない場所だそうでして、エスタブリッシュメントの匂いのする、非常に趣のある会場でした。パーティ会場の窓いっぱいに望める夜景も美しい。

 このような授賞式に受賞者として出席するのは初めての経験なので、とにかく緊張していました。

 登壇されたのは、主催者である読売新聞社と清水建設の役員の方々と、後援者である新潮社の佐藤社長、そして選考委員の先生方。井上ひさしさんと椎名誠さんは欠席されたので、荒俣宏さん、鈴木光司さん、小谷真理さんの御三名でした。 

 会場は関係者や招待客の皆様でぎっしり埋まっておりました(と記憶してるんだけど、舞い上がっていたので、あんまり定かではない)。そのようななか、受賞者によるスピーチというのがありまして、これを思うと、授賞式の前から生きた心地がしませんでした。軽く一杯ひっかけたかったくらいでしたが、さすがに授賞式は素面で臨まなくてはいけないだろうと思い、我慢。

 いざ本番が始まってみると、先にスピーチをされた大賞受賞者の中村弦さんがとても落ち着いていらっしゃるように見えたので、いっそうプレッシャーが高まりました。

 何とかやってのけましたが、人前で脚が震えるという経験は初めてでした。おまけに、あろうことか、スピーチの途中でズボンのポケットに入れた携帯電話のヤツが鳴り出しやがりまして……おいおい、マナーモードにしておけよ。死ぬかと思った。

 幸い、声がでかかったので、皆さんには聞こえずにすんだようですが。

 授賞式が終われば、あとはもうこっちのもんですよ。パーティでも壇上に上がってインタビューを受けるという場面があったんですが、乾杯をすませてアルコールで湿したわが舌は、滑らかを通り越して軽薄の域にまで達していたと思われます。

 パーティでは、日頃なかなかお目にかかる機会のない、新潮社の製作部や営業部の方たちや、出版取次会社の方ともお話できたのが、うれしかったです。

 パーティの後は、場所を移して、ごく内輪だけの二次会。ここで、歴代受賞者の皆さんとお話をさせてもらうことができました。新人だから何か面白い芸でもやってみせろ、とか、グラス空いてるのが見えねえのか、酒を注がんかい! というような体育会系のノリはまったくなく、皆さん優しく接してくれました。

 この賞の受賞者は仲がいい、という話は聞いていましたが、本当にそうで、皆さん快くあたたかな輪のなかに迎え入れてくれ、じんときました。あらためて、この賞をもらえてよかったなあと感じた瞬間です。賞の性格というのは、受賞者によって形作られてゆくものなのだ、ということも腑に落ちました。

 選考委員の先生方からも温かいお言葉を頂戴しましたし、あれほどたくさんの人から優しくしてもらった経験は、初めてでした。ひょっとして今夜俺は死ぬのではないか、と心配になったほど。翌朝、二日酔いで目を覚ましたとき、(ベタですが)昨夜の出来事は夢だったのではなかろうか、という感慨を本気で抱きました。

 夢ではなかった証拠に、財布のなかから、とある作家さんのサインがしたためられた、二次会の店の箸袋が発見されました。うーん、ヤフオクにでも出品するつもりだったのか。

 冗談ではあったと思いますが、箸袋に気さくにサインをしてくださった大先輩も、受賞者の一人。この賞の受賞者は、きっとみんないい人にちがいない。

 それにしても、担当編集者であるOさんをはじめ、関係者の皆様には大変お世話になりました。この場を借りて、あらためてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

(おまけ)

kinenhin

 上の写真は、受賞の記念品としてリクエストさせていただいた、万年筆です。名入れもお願いしました。本当は、タイトルも入れたかったんですが、さすがに文字数オーバーでした。

 この商売をやっていて壁にぶつかったり落ち込んだりしたときは、これを見て元気を出そう、なんて今から思ってるわけです。準備がいいでしょ? 僕もだてに苦労しちゃいませんて。

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断食道場

 先日、いわゆる断食道場に行ってきました。

 夏、忙しさのなか、スタミナつけて乗り切ろうとばくばく食べて、一日じゅうパソコンに向かうような生活をしていたら、どんどん太ってしまいまして。

 もともと、断食そのものに興味があり、というか、ときどき食事を抜かないと調子が悪くなる性質なので、自分でも何度かやってみたことがあります。長くても二日間くらいの完全断食ですが。

 ただ、やはり家で行うと誘惑も多いし、あと、補食とか復食とか呼びますが、断食で空っぽになった胃をじょじょに食事に慣らしてゆく加減がけっこう難しく、つい食べ過ぎて胃に負担をかけてしまいがち。

 今回、少し時間が取れたし、休養する意味も兼ねて、初めてそういう施設に行ってみることにしました。家にいると、どうしても仕事のことが頭を離れなくて、ストレスが抜けなくなっていたこともあり、ノートパソコンと文庫本二冊だけは持っていきましたが、向こうでは仕事のことを考えないつもりで、伊豆にある施設へと向かいました。

 今回の日程は、三泊四日。

 こういう施設では、一般的に、完全に断食したのと同じ日数を、復食にかける。僕の場合、1・5日の完全断食に、1・5日の復食、そして最終日は普通の食事、ということになりました。本当はもっと長く食を抜いて、すっきり感を味わってみたい。が、こいつは仕方ない。

 それでも、もくろみどおり、たっぷり体を休めてやることができました。というか、最初の二日間は、ほとんど寝てばかりいました。施設の専属のスタッフに提供されるマッサージや鍼灸の効果もあり、仕事のことも意図的に頭から締め出したので、じつに久々にぐっすり眠れたのですね。空腹は辛いどころか、むしろ快適。

 プロによる復食は内容も量もタイミングもさすがにばっちりで、そこで調子を崩すこともなく、体がどんどん軽くなり、血のめぐりもよくなってくるのがわかる。

 ヘロヘロの状態で入ったのに、最終日の朝には日の出を見るべく海に向かってジョギングするほど元気になっていました。

 断食道場、どんなものかと思っていたけど、結論としてはよかったです。僕が行ったところは建物が古くて、設備も老朽化しているし、そのへんは快適じゃなかったけど。

 温泉に浸かって旨いものを食べ、酒を飲むのもリフレッシュですが、疲れた体を休めてやろうと思ったら、究極は断食かもしれない。今度はもっと長い期間行ってみたいものです。

 ただ、こういう「趣味」って、まわりの人たちにはなかなか理解されないのが辛いところで。断食道場へ行くというと、食事もろくに出ないところに、どうしてわざわざお金払ってまで泊まるわけ? とあきれ顔でコメントする人がほとんど。僕のなかでは「全然あり」な行為なので、自分のなかの少数派を久々に確認するきっかけとなりました。

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『彼女の知らない彼女』と『DOLL STAR』第1巻、好評発売中です!!

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『彼女の知らない彼女』は、こんなお話

 舞台は2015年の東京・下町。

 主人公、蓮見夏子は高校を卒業して家業の定食屋を手伝っている、21歳。幼なじみの矢吹杏(あん)は、大学へ通いながら女優を目指して劇団に所属している。そんな親友を応援しながらも、心のどこかでは、自分の人生は本当にこれでいいのだろうかと夏子は考えている。

 いっぽう、同じ2015年の別の世界で、村上草平は悩みを抱えていた。

 彼がコーチをしているマラソンのオリンピック金メダリスト、蓮見夏希が、2016年に開催される東京オリンピックの選考レースである名古屋国際女子マラソンまで四ヵ月というところで、故障したのだ。医者の判断ではレースに出場するのは問題ないというが、自身もかつて選手であった村上は、夏希の選手生命を案じて、レースを回避したいと考える。

 ところが、夏希が契約している世界的なスポーツ・エージェントは、契約を盾にレースへの出場を強制する。困り果てた村上は、とある居酒屋で変人めいた初老の男と出会う。井尻博士と名乗った男は、村上の話を聞いて奇想天外な解決法を提示する。

 別の世界の夏希を連れてきて、彼女の影武者をさせればいい、というのだ――――。

                          (新潮社刊・定価1,260円)

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『DOLL STAR 言霊使い異本(ヴァリアント)』はこんなお話

 ちょっと変わった女子高生・乃々果には、ぬいぐるみを突きつけることで、相手にその人が一番恐れているものを見せるという特殊な能力があった。

 彼女はその力を使って悪と対決するが、力を使うことにより、彼らが日頃目をそむけている真の自分に気づかせるという、荒っぽいヒーラー(治療者)の役割も果たす。

 平凡な女子高生である福堂沙穂は、乃々果と出会い、人をよせつけない彼女に魅かれ、友達になろうと接近する。だが、その出会いは、二人を予期せぬ戦いへと巻き込んでゆく――――。

                           (講談社刊・定価650円)

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『DOLL STAR』第1巻も11月21日発売です

 現在Yahoo!コミックにて好評連載中の『DOLL STAR 言霊使い異本』(原作・里見蘭/漫画・槇えびし)の単行本第1巻も、『彼女の知らない彼女』と同じく、11月21日に発売になります。

 →講談社コミックプラスのページへ

 当初は10月発売の予定でしたが、諸般の事情により、11月刊行になりました。以前のエントリで、10月中に『島耕作と四人の女たち』と合わせて本が2冊出ると書きましたが、もう1冊がこの『DOLL STAR』でしたので、結果1冊になってしまいました。失礼しました。

 ネット上ではまだ表紙画像は公開されていませんが、はっきり言ってカッコいいです。槇さんの素晴らしいグラフィックと、デザイナーさんとのガチンコのコラボ。魂の感じられるカバーになっております。担当編集者のSさんとしても会心の出来でありましょう。

 巻末には、里見蘭によるエッセイ「DOLL STAR誕生秘話」と乃々果のイラストもあります。僕のイラストは誰も期待していないかもしれませんが、あまり露出を好まない槇さんの貴重なコメントもありますよ。定価は650円。お楽しみに。

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『彼女の知らない彼女』は11月21日発売です

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(画像をクリックすると、新潮社のサイトへ飛びます)

 クライマックスシーンがマラソンのレース。ということで、担当編集者であるOさんの手配により、大東文化大学陸上競技部の只隈伸也先生に陸上部分の描写に関するアドバイスをいただくことができました。

 あらかじめ初校のゲラをお渡しして、Oさんが設定したポイントを中心にチェックをお願いしたのですが、そこだけにとどまらず、物語の流れまで考慮した、かゆいところに手が届くような貴重な助言を頂戴しました。

 当然、自分でも資料を当たって書いています。が、思い込みによる勘違いもありましたし、実際に現場を知る方しかわかりえない情報も聞かせていただきました。もちろんフィクションですから嘘はあります。でも、事実を知ったうえであえて書く嘘と、知らぬままに書く嘘とでは大きな違いがあります。

 只隈先生のお話には、もう一本陸上ものを書きたくなるほど面白いネタがたくさんありました。そのすべてを盛り込むことはできず、涙を飲んで割愛したものもありますが、再校には可能なかぎりがっつりと反映させました。あらためて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 専門家のご協力も得て、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞の受賞時より、何割増しか面白くなっていると断言できます。吉實恵さんの手になる爽やかな装画もまぶしい一冊。定価は1,260円。ネット上でも、すでに予約のできる書店がいくつかあります。 

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『島耕作と四人の女たち』が発売されました

 あの島耕作のノベライズ作品『島耕作と四人の女たち』が発売されました。

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(画像をクリックすると、Amazonへ飛びます)

 ご存知のとおり、原作の島耕作シリーズは、巨大な作品です。

 『課長 島耕作』として始まったものが、25年後の現在は『社長 島耕作』として連載中ですし、さらには、課長時代以前の『ヤング 島耕作』シリーズも同時並行で別の雑誌に連載されている。

 大河漫画といってもいいこの物語を、四人の女性キャラクターの視点から描いたものが、今回のノベライズです。あとがきにも書きましたが、この切り口は僕ではなく、ノベライズを企画された編集者さんのアイディアです。

 お話を聞いたとき、いい切り口だな、と感じました。これなら、大きな作品世界を、さほど無理することなく、そのエッセンスをそこなわずに一冊で切り取ることも可能なのではないか、と思ったのです。女性読者にも、より親しみを感じてもらえるかもしれないし。

 

 ノベライズでは「島耕作はなぜモテるのか?」を最大のテーマとして設定しました。島耕作を語るうえで欠かせないポイントでしょう。それだけに面白く、また難しくもありました。うまくいったかどうかは、読者の皆様のご判断にゆだねたいと思います。

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プレミアム?

 Amazonで自分の著作を見たら、品切れになっている作品に、マーケットプレイスでものすごい値段がついていてびっくりした、という話です。

 漫画『ドラゴン桜』のノベライズは、全五巻が講談社文庫から出ています。その四巻と五巻に当たる『小説ドラゴン桜 メンタル超革命篇』と『小説ドラゴン桜 魂のエンジン篇』が、現在、どうやら新品は品切れ状態らしく、中古商品を扱うマーケットプレイスにおいてのみ、入手できるという状況。

 定価はそれぞれ552円プラス税、であるにもかかわらず、後者は中古商品が1,340円から、前者は1,968円から並んでいます。版元でも完全に品切れ状態の後者については、最高値がなんと5,980円!

 はるか昔に絶版になった本ならともかく、去年出たばかりでまだ絶版にもなっていない文庫本につけられた値段だから驚きです。うーん、俺も、これだけプレミアムのつく作家になったか……っていう話ではまあ100パーセントなくて、たまたまイケイケのギャンブラーな出品者の方々が集まったというだけのことだと思うんですが(あ、僕は出品してません)。

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 写真は、本棚にあった、アルフレッド・ベスターの『コンピュータ・コネクション』。廃刊になってプレミアムがついたサンリオSF文庫の一冊です。その昔古本屋で買ったもので、定価460円に対し、奥付にエンピツ書きされた値段は1,500円。

 僕はマニアでもコレクターではないので、たんに読みたくて買ったのでした。それでも不思議なもので、持っているとちょっぴり誇らしいような気がしたりもして、写真を載せたくなっちゃったりもする。おお、これが、稀少という言葉の持つ魔力なのか。

 

 しかし、著者の立場としては、プレミアムがつくよりは重版がかかってくれるほうがうれしいなあ……。

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